東日本大震災

私事ですが、3月30日は忘れられない日です。というのも、2011年のこの日、青春時代を過ごした岩手県大船渡市三陸町にボランティアに出かけた日でした。
3月27日に東北自動車道が開通したというニュースを聞いて、ボランティアに出かける準備を整え物資もかき集めて準備万端で30日の夕方から現地に向かいました。当時はガソリンも販売されていない状態でしたので、タンクの中に20ℓ予備となるガソリンを積んで、ワゴン車の中に荷物をいっぱい詰めて出かけました。関東地区で再度燃料を満タンにして、東北自動車道に入ってしばらくしてからはガソリンが切れたらまずいと80㎞/時の一定の燃費走行をして...。福島に入ると道路が凸凹していて恐怖を感じたのは今でも忘れられません。国見SAがガソリンを供給できる最後の地点との表示があり、再度給油(20ℓまでの制限がありました)。何人かの知り合いは無事であるとの連絡が取れていたのですが、早く会いたいとの焦る気持ちと道路状況の悪さに不思議と眠気はなく夜通し走り早朝に一関インターまでたどり着きました。
一関インター付近のガソリンスタンドでは長蛇の列ができていました。この日から岩手県ではガソリンが販売され始めたようでした。これで燃料の不安がなくなりました。朝コンビニで朝食と仮眠を取ろうと寄ってみました。するとおにぎりやパンが少しあるだけでしかも販売個数制限があったような記憶があります。
内陸部は建物の被害などもほとんど見られず、ひょっとしたら思っていたよりもましなんじゃないかなんて思って走って行って・・・海岸近くになったら大きなショックを受けました。ニュースで見ていたそのものの現実が想像を超えてよりひどい状態で眼前に現れました。
とりあえず連絡をつけていた比較的被害の少なかった知り合いのところを訪ね(単独のフリーのボランティアでしたので)どのように動いたらよいか話を聞きました。震災後20日経過していましたが、建物が被災された方は公民館などに所狭しと避難されている状態でした。一人布団で寝るスペースさえも十分に確保できないほど、避難者に対しての受け入れられる空間が不足していました。ですので、倉庫でもなんでも何か建物が残っている方は凍えるような寒さでしたが、そこに避難されている方もいました。
そこから1週間知り合いを転々と訪ねながら、がれきの処理や救援物資の運搬などのボランティアを続けましたが、海岸沿いでのまだ雪の降る寒さ、時折来る余震の恐怖の中での作業は忘れられない体験となりました。
再度2011年に復旧作業のお手伝いで3日間出かけ、その後は2014年くらいまではボランティア団体にお願いして、主に仮設住宅でのボランティア施術を年に2回くらい気仙沼市や陸前高田市にも出かけました。2015年からは最低年1回は三陸町に行っています。確かに町は変わってきましたが、震災の傷跡はまだ深く残っています。現地に行って敢えてできるということは短期間であるからこそ減っていますが、大切なのはまだ復興半ばであるということを忘れないことだと思います。昨年は岩手県の岩泉町で豪雨による川の氾濫で大変な被害がありました。当時被災した大船渡の知り合いのタイムラインの呼びかけをきっかけに2日間のボランティアに出かけました。主に泥出しの作業でした。
今までの当たり前の生活が何の前触れもなくできなくなってしまう自然災害の恐怖。福島の問題もまだまだ解決されていない重要な問題です。そういったことで苦しんでいる方がまだ大勢いらっしゃいます。何かできることがあれば行動できるようにいつでも頭の片隅にでもそんな事実を感じながら生きていきたいと思っています。

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あき整体院

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